2006年10月19日
よきサマリア人
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分べん中に意識不明となり、受け入れを打診された18病院が拒否し、結果的に脳内出血によって死亡。今年8月奈良県での出来事。ニュースが遺族の悲痛な叫びを伝えた。「救急車のたらいまわし」が社会問題化したのは1980年代だったと思う。その後、制度も病院の救急体制も改善され、そういう問題も沈静化したと思っていた。が、どうも最近になって「たらいまわし」にされる事例を多く聞くようになった。正確には、受け入れ病院が見つからない。ということらしいが、専門医師がいない、ベッドが満床だという理由による受け入れ拒否である。確かに病院側にも正当な理由があれば受け入れることはできないのも解る。しかし、今回のケース。特に年々減少する産婦人科に関わった事ではあるのだが、18の病院が拒否したという客観的状況は異常と言う他ない。そうなってくるともはや問題の根幹は個々の病院や医者にあるとは言いにくく、むしろ社会制度としての救急体制が現状に対応していない、うまく機能していないと言うことではないか。
ところで、医療や救急救命体制の発達によって、救命率は20年前と比べて格段に向上している。昨年の9月に不覚にも特発性心室頻拍という病名をいただき、カテーテルアブレーション治療をした。これは心臓の中にカテーテルを差込んで、心臓の内壁を電気焼灼する方法。根治する確率も高い手術である。しかし、この方法が確立したのは1990年代のこと。20年前にはできなかった手術。もし、昨年これをしていなかったら抗不整脈剤を飲み続けるか、あるいは突然死してあの世か・・。という現実が待っていたのだろう。当然に循環器の分野だけでなく他分野でも医療技術は発達し、さらに延命治療も発達している。しかしそんな医療技術や制度の発達自体が、新たな問題を生み出しているようにも思えるのだ。以前だと一般的には不可能だった救命や延命が、医療制度や設備、技術によって可能になってきている事例も多くなった。延命については尊厳死や安楽死のように個人の自己決定権に関わることであり、医療分野だけの問題として片付けられるものではない。
もっとも深刻なのは、医療事故による訴訟が急激に増加していることに伴って、医師や病院が重篤な急患の受け入れを拒絶するという医療行為の萎縮ではないだろうか。今回の「受け入れ拒否」も、問題もそれと無関係ではないだろう。もはや医療設備や医療制度、まして医師個人の倫理感という側面からだけでは、解決を期待するのは無理であろう。医師や病院も、医師として人道として良かれと思って急病人の治療を引き受けたが過失によって思わぬ結果が生じた。そういう場合の受け入れ前提条件や法的責任を司法制度としても明確に規定(よきサマリア人法)しておくべきではないだうか。通常の場合だと、刑事事件としては違法性が阻却され犯罪として成立する可能性はほとんどないと思われるが、しかし民事事件としては債務不履行や不法行為として損害賠償を請求される可能性は残るし、更に実際の訴訟では重過失のない事の証明は医師側にある。それらが、重篤な患者を受け入れることに対して萎縮してしまう要因の一つであろう。2年前から一般人の自動体外式除細動器(AED)の使用が認められるようになったが、これには法的な責任は問われないことになっている。一日も早く、医師も病院も「ベッドが満床だから・・・。」という、なんとも情ない理由で拒絶している、しなければならないという事態を早くなんとか改善しなはれ。安部くん。
